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カルタゴ

ハミルカル・バルカ

前229頃没。カルタゴの将軍。
第一次ポエニ戦争時、シチリアにおいてローマ軍に対し善戦するも本国の決定により和睦を余儀なくされた。後の傭兵反乱を鎮圧、ヒスパニアに渡り、勢力を広げて本国に財をもたらす。
ローマを深く憎み、息子ハンニバルに生涯ローマの敵となる誓いを立てさせた逸話がある。

ハスドゥルバル

前221没。ハミルカルの娘婿。

美男子で、ハミルカルの愛人でもあったとも言われる。外交、扇動などに優れ、ハミルカル死後将軍位を継いでヒスパニアのカルタゴ軍を指揮した。新カルタゴを建設。奴隷により暗殺されている。

ハンニバル・バルカ

前247/6生、前183没。カルタゴの将軍。ハミルカルの長男。
天才戦術家として知られる。アルプスを越え、イタリアに進攻し、第二次ポエニ戦争を引き起こす。カンナエの戦いなどで多くの歴史的勝利をあげるも結果として戦争に勝つことはできなかった。

戦後カルタゴの国政改革に取り組むが貴族の反発を受けて失脚、亡命。亡命先でもローマに敵対的な行動を取った。最期は自邸をローマ軍に包囲され毒により自殺している。

ハスドゥルバル・バルカ

前207没。

ハミルカルの次男。
第二次ポエニ戦争、兄ハンニバルのイタリア進攻に際しヒスパニアを任せられる。スキピオ・アフリカヌスの登場に伴い戦況が悪化、兄と合流すべくアルプスを超えたが、メタウルスでローマ軍に討たれる。

マゴーネ・バルカ

前203没。

ハミルカルの三男。第二次ポエニ戦争では当初長兄ハンニバルに従い、信頼を受けてカンナエの戦勝を本国に伝える役目を負った。その後ヒスパニアへ渡るもスキピオに破れ、イタリアへ。カルタゴ本国への帰国の途上、洋上で戦傷により死去。

ハンノ・ボミルカル

ハミルカルの娘の子。
第二次ポエニ戦争には叔父ハンニバルのもとで下級指揮官として参戦。戦争末期、カルタゴの将軍位を与えられ、帰国したハンニバルにカルタゴ軍を託した。ザマの会戦に参加しているがその後は不明。

イミルケ

ハンニバルの妻。ヒスパニア貴族の娘。
ハンニバルとの間に息子を産んだが、新カルタゴ陥落後の消息はともに不明。

マハルバル

ハンニバル配下の部将。
サグントゥム攻囲の際にハンニバルと入れ替わって指揮を執り、第二次ポエニ戦争では騎兵を指揮。ハンニバルに信頼を置かれた様子だが、独断で捕虜の助命を約束したりハンニバルを批判する言葉を口にしたりしている。

ソフォニスバ

前203没。

カルタゴ貴族ハスドゥルバル・ギスコの娘。シュファクスの妃。おそらく幼少期にマシニッサとの婚約を結んでいたが、情勢が変化しマシニッサが地位を失うとシュファクスの妻とされる。

その後シュファクスを破ったマシニッサと結婚したが、ローマは敵将の妻である彼女の引き渡しを求め、マシニッサに与えられた毒により自死。

ハスドゥルバル

第三次ポエニ戦争におけるカルタゴ軍指揮官。

史料の偏りもあり、ローマ人捕虜の陵辱や放蕩などといった面が多く伝えられる。カルタゴの陥落に際し小スキピオに助命を嘆願し受け入れられ、戦後も生き延びた。

ファメアス

第三次ポエニ戦争でカルタゴ騎兵を指揮。名はヒミルコともハミルカルとも。

小スキピオの誘いに乗りローマ軍に加わり、身の安全を約束され元老院から贈り物を得た。戦後の消息は不明。

ヌミディア

ナラウァス

史料に名前を持って最初に登場するヌミディア人。
カルタゴの傭兵反乱の際、その名声を聞き知っていたハミルカルのもとに馳せ参じ、助力を申し出て彼の娘を妻として与えられる約束をした。

彼についての記述がフローベールの小説『サランボー』の元ネタ。

シュファクス

ヌミディア、マサエシュリーの王。
強力な王であり、一度はカルタゴに対し反乱を起こしたこともある。第二次ポエニ戦争ではカルタゴとローマの間に立とうと画策するが、ソフォニスバを与えられカルタゴ側に転じる。ローマと結んだマシニッサに敗れて虜囚の身となり、スキピオの凱旋式以前にイタリアで死去。

マシニッサ

前239/238生、前149/8没。統一ヌミディアの王。マッシュリーの王ガイアの子。
第二次ポエニ戦争では当初カルタゴ側で参戦していたが、ヒスパニアにおける敗北ののちスキピオの誘いに乗ってローマにつく。その助力を得てシュファクスに奪われていた王国を奪還、王位についた。戦後ローマと親しい関係にある王として地位を固め、一方でカルタゴの領土を蚕食、第三次ポエニ戦争のきっかけを作る。
非常に長寿かつ健康で、最終的に子供の数は44人とも54人とも言われる。

マッシワ

マシニッサの甥。
叔父のもとで第二次ポエニ戦争に参加。ローマ軍の捕虜となり、スキピオによる厚遇と解放を受けてマシニッサがローマと結びつくきっかけのひとつとなる。

ミキプサ

前118没。マシニッサの嫡出の長男。
ギリシア語、哲学の教養があった。父の死後小スキピオの調停により弟たちと王権を分割、王宮を与えられたが、弟たちの死後は単独で王位につく。穏健かつ善き王であったと伝えられる。

グルッサ

前145/140没。

マシニッサの嫡出の次男。
兄弟に比べ好戦的であったとされ、小スキピオによる調停で外交権を与えられ、軍事を統括。第三次ポエニ戦争に参加し、ローマ軍を助けた。

マスタナバル

前140年代没。

マシニッサの嫡出の三男。

ギリシア語の教養があり、パンアテナイ祭の戦車競技に出場した経験がある。その公平さを知られ、小スキピオによる調停で司法権を得た。

ユグルタ

前160生、前104没。

マスタナバルの庶子。父の死後ミキプサの養子となり、王位を継承。
ヌマンティア戦争に従軍している。当初ミキプサの実子たちと王位を分割していたが不和が生じ、最初にヒエンプサルを殺害。アドヘルバルとの争いにローマが介入し、調停がなされたがアドヘルバルを殺害しキルタのイタリア人をも虐殺したことでローマの宣戦布告を受けた。最終的に敗北し捕らえられ、ローマで刑死した。ローマ貴族の腐敗を見抜き贈賄で彼らに取り入ったとされる。

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