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上:第一次ポエニ戦争前、前264年頃の地中海世界

​下:前133年頃のローマの勢力範囲(赤部分)、他国割愛

おおまかな地図なので、参考程度に。

国・同盟
  • ローマ
    イタリア半島の都市国家。前753年が伝承上の建国年。王の追放による共和政樹立、貴族と平民の身分闘争、イタリア半島征服などの後、ポエニ戦争でのカルタゴへの勝利を経て地中海世界に覇権を広げた。
    当サイトで扱うのはローマが勢力を伸ばす時期であり、ローマが帝国化していく時期とも言われる。諸戦争での勝利によりその影響力を西方・東方に及ぼした。ギリシア文化の流入が起こった時期であり、奢侈・退廃の風潮も見られる。共和政が健全に機能したとされるものの、次第に問題が蓄積、その結果として共和政末期に内乱が起こり、前27年に帝政へ移行。

  • カルタゴ
    北アフリカ、現在のチュニジアにあった都市国家。伝説では前814/3年に女王エリッサにより建国された。フェニキア都市ティルスの植民市で、主に商業により栄えた。
    その航海技術と商才で地中海世界を席巻しギリシア人と競ったが、シチリアを巡ってローマと対峙することに。三度のポエニ戦争に破れ、最終的に滅ぼされる。

  • ヌミディア
    北アフリカのベルベル人の国家。マシニッサの属する部族がマッシュリー、シュファクスの属す部族がマサシュエリーであり、東西に大きく分かれていた。ヌミディアは他称。
    長くカルタゴの統制下にあったが、第二次ポエニ戦争を機に大きく転換。マシニッサ王のもとローマと友好関係を結び東西を統合、版図を大きく広げた。しかしその後ユグルタ戦争やローマ内乱を経て属州化される。

  • ギリシア
    ギリシアは他称。同じ言語を話す人々がヘレネスを自称し、自分たちの国土をヘラスと呼んだ。多くのポリス(都市国家)を建設、各地に植民市を建て、栄えた。洗練された文化はローマ人の憧憬の的であった。
    古典期を経て、ローマが進出した頃(ヘレニズム時代)には既に弱まっていたとされる。アカイア戦争ののち属州アカイアとしてローマに併合される。

  • マケドニア
    北ギリシアの王国。扱う時代ではディアドコイの建てたアンティゴノス朝。
    ローマと何度も戦争をしたが、最後の王ペルセウスが第三次マケドニア戦争で敗れ捕らえられると王朝が断絶、分割ののち、属州化された。

  • アカイア同盟(連邦)
    アカイア地方のポリスの連合体(必ずしもアカイア地方のみに限らない)。各ポリスが衰退したヘレニムズ期に力を持つが、ローマの進出によって混乱。アカイア戦争ののち(一時的に)解体される。歴史家ポリュビオスを輩出した。

  • ​その他セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、ペルガモン王国、アイトリア同盟などあるが、ここでは創作に関わるもののみ。

戦争

ポエニ戦争

  • 第一次ポエニ戦争:前264-241年
    シチリアを巡ってローマとカルタゴが衝突。ローマにとっては初めての海戦となった。戦争は泥沼化し、戦況が一進一退を続けたが、ローマの海戦での勝利により、カルタゴが和睦を申し入れる。カルタゴはシチリアを明け渡し、賠償金を課された。その後のカルタゴの傭兵反乱のどさくさにローマはコルシカとサルディニアを得た。

  • 第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争):前218-201年
    ハンニバルがローマと同盟していたヒスパニアの都市サグントゥムを攻囲したことから始まった。カルタゴ軍はイタリアに侵攻、カンナエの戦いなどで歴史的勝利をあげるも、戦争は長期化し次第にローマが形勢を逆転。大スキピオがヒスパニアのカルタゴ勢力を駆逐し、ザマにおいてハンニバルに勝利したことが決定打となりカルタゴの敗北に終わる。講和条約によりカルタゴは多額の賠償金を負い、海外領土を失う。

  • 第三次ポエニ戦争:前149-146年
    カルタゴが講和条約に反してヌミディアと戦争を始めたことを口実として開戦。カルタゴを滅ぼすための戦争であり、ローマの予想より強固な抵抗ののち、小スキピオによりカルタゴは滅ぼされた。

マケドニア戦争

  • 第一次マケドニア戦争:前215-205年
    フィリッポス五世がハンニバルと結びローマと敵対、ローマはバルカン半島やエーゲ海に派兵するも戦争に積極的でなく、フォイニケの和約が結ばれる。

  • 第二次マケドニア戦争:前200-197年
    マケドニアの勢力拡大に対し近隣諸国がローマに救援を求め、ローマはギリシアの問題に介入する形で宣戦。フラミニヌスがフィリッポス五世に勝利し、ギリシアの解放を条件に含む講和条約を結んだ。

  • 第三次マケドニア戦争:前171-168
    フィリッポス五世の子ペルセウスの勢力増大に対してローマが宣戦。ローマの指揮官執政官アエミリウス・パウルスがピュドナの戦いでマケドニア軍に完勝、ペルセウスを捕らえて戦争を終結させた。これによりアンティゴノス朝は滅亡する。

  • 第四次マケドニア戦争:前149-148
    ペルセウスの子を名乗る偽フィリッポス(アンドリスコス)による反乱。ローマ軍は当初敗北を喫すも、カエキリウス・メテルスが派遣されこれを鎮めた。

アカイア戦争:前146年

マケドニア戦争で難しい立ち位置にあったアカイア同盟で反ローマの機運が高まり、戦争行動に出る。最初マケドニア処理にあたっていたメテルスがこれを破り、前146年度執政官ムンミウスが指揮を交代、勝利し、コリントスを掠奪した。

ヌマンティア戦争:前142?-133年

第二次ポエニ戦争以後ローマの勢力下に入ったヒスパニアではケルティベリア戦争など多くの現地民の反乱があり、そのうちのひとつ。ケルティベリア人の都市ヌマンティアはローマに強く抵抗するが小スキピオにより攻囲され、無条件降伏したのち破壊された。

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