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第二話

 前日の嵐のことなど露知らずといった顔で、海は重たげな青を抱いている。つい三日前に訪れた倉庫が離れ行く岸に望めた。その赤茶の影がぼんやりと薄ぼけ始めた頃にやっと廉は行く手を振り返った。岩の塊のような小島がいくつも浮かぶ海を四十分ほど泳ぎ切ればこの船は目的の島に到着する。
 貨客船の甲板にはいま彼しかいなかったが、じきに他の乗客も暇を潰しに出てくるだろう。定員の三分の一ほどしか乗船しておらず、見たところではほとんどが人間だった。
 手すりを握って背中を反らせていると大きく揺れる船の動きをはっきりと感じられる気がする。塵ひとつ残されていない晴天を一応の規則のもとで航空機が切り裂き、空よりも海のほうが余裕がある有様だ。水面を滑った風が不意に勢いを増して廉に吹き付け、目深に被っていた帽子を攫っていった。
 空振りした手が通り過ぎた視界に暗色の男がいて、手すりを離さないままの手に力を込めた。
「海が珍しいのかい」
 部長の真似をして曖昧な態度を取った廉に、正崎がアタッシュケースで塞がっていない左手で掴んだ帽子を差し出す。出掛け際、エントランスで出くわした朝顔に被っていけと言われたもので、廉には少し大きかった。
「珍しいわけじゃないけど、他に見るものないだろ」
「君は真面目だからな……」
 帽子を被り直して邪魔な前髪を流しながら、手すりに背を預けた。どこを向いていても見えるのは海だ。船は褪せた白のビルディングひとつきり乗せた島の横を通り過ぎる。
 あの仕事から、三日である。部長の言った通り、廉は然程厳しい叱責も処分も受けなかった。プラティ社が佐和の告発についてあれこれと尽力させられているのは明らかで、廉はそれに関わらせてはもらえない。それが立場をわきまえろという戒めなのだろう。それに調査に出向くのは週に一度あるかどうかという頻度だから、前回の仕事から三日で次の調査というのはむしろ珍しかった。
 いやそもそもこれは自分の仕事ではないし、なんだって自分がここにいるのかまだ納得しきっていない。オフィスに着くや否や、言う通りに車に乗れと追い立てられたのだが、似たような指示を受けて当惑する同僚が何人かいたように思う。
 その車にでかでかとコドンのエンブレムが貼り付けられていて、後部座席にはこの正崎がいたことくらい、他社所属と関わり合いになったことのない同僚の困惑に比べればまだ、まだましと言えるのだ。おそらくきっと。
 愚痴に近いことを並べ立てた廉の物言いに、正崎は車内で文句をつけられたときと同じように訝しげにした。
「どうしてプラティ社は君たちに正しく連絡しないんだ」
「あなたのとこがせっかちなんだよ。統合決定の後すぐに合同調査を通達して調査員を一方的に送りつけてくるなんておかしい」
「通達は昨日の午前に行ったと聞いたのに」
「それが早いって言ってんだろ」
 しかし、正崎の様子を見ると、そのせっかちさがコドン社にとっての通常の動き方なのだった。尊厳死制度の多様化を謳う以上、両社が合同調査を行うことには一応の理がある。廉がそうであるようにプラティの調査員たちはコドンのやり方を具体的に知らないし、逆もまた然りだ。互いのやり方を知り更に改善案を出せと言われるのはいつになるか。
 まだ廉の言い分を飲み込んでいないらしい正崎を、敵意があると思われない程度に睨む。
「俺が組む相手があなたなのはわざと?」
「偶然だよ」
「怪しすぎるんだよなあ……」
 また飛ばされそうになる帽子を押さえながら、船室に通じる階段に向かった。反対側の階段を上ってくる複数人の足音が聞こえ、それが午前だというのに酔った様子だったのだ。正崎も同じように思ったのか後ろをついてきて、ふたりして人の疎らな船室の端の席に座った。
 季節感のないアンドロイドの衣服傾向を差し引いても正崎には冬も夏もない。髪と瞳がグレースケールだから衣服までそれで揃える味気なさは、廉が私的に友人に選ぶことはないだろうという類のそれだ。
「今日の調査対象とは何度か会ったことがあってね」
 端末に何を表示させているのか、向かい合っていては覗き込めない。資料は読んだと返すと正崎は何が可笑しいのか口の端を少し歪めた。
「対象は記憶結晶を搭載した機体だって書いてたけど、それもコドンが?」
「ああ。管理者夫妻と当事者の話し合いの仲介をわたしがして、円満に契約は結ばれた、それが八年前だな」
「へえ……そんなに長いこと仕事をしてるんだ」
 自分の話になると思っていなかったのか端末から目を上げた相手に、廉は素直にすごいですねと付け加えた。それでたったの三年か。ひどく大きな差を作る三年もあったものだ。正崎はうんともすんとも言わず、仕切り直す意味でかひとつ咳払いをした。
「……これは君に渡された資料にない情報だが、把握していたほうが驚かずに済むだろう」
 テーブルに置かれた端末を取り上げると、メッセージが表示されている。社を介さず直接正崎に送られてきたもののようだった。日付は一週間前。なるほど確かに、ここまではっきり私的なものであれば資料には載るまい。
 後悔している。この言葉に始まり終わっていた。差出人の名がなく、アドレスは暗号化されていて、廉はただ内容を把握させられているだけだった。とはいえ送信者となりうる者は限られているーーどちらへの裏切りとなるのか分からない。どうすればいいのだろう。過去から生じた裏切りが何よりもいま私を責めるのだ。
 湿っぽくて嫌な感じのする文章だな、と他意なく感じた。何について後悔しているのかをこちらの推量に任せきっているし、稲角の遺言よりも佐和の告訴状よりも強く、こちらを窺う卑屈さが隠しようもなく滲んでいる。
「その管理者夫妻は故人だろう。旦那が八年前、奥さんが昨日。これは誰からだ、令嬢?」
「当事者から。夫人の葬儀は明日だが、喪服の用意はないだろうな」
「喪服って、あの真っ黒いやつか。あなたの格好なんか喪服みたいなものだろ? ……何だよその目」
「いや……」
 足元に置いたアタッシュケースの中身がそうなのだと告げた正崎はまったく、わざとでも何でもなく、困っていた。廉が手ぶらであることなんて車に乗り込んだ時に見たんじゃないのか。
 正崎の仕事については車内で知ったのだが、コドンとしてはプラティに事前通知したつもりなのかもしれない。調査対象のロボットは管理者の夫人に連動していたのだから、ロボットが死んだということは夫人も死んでいるわけだ。当然現地では葬儀もあるだろう。
「あっ、正崎さんが葬式に出るのか!」
「…………」
「何だよその目は!」


 小さな港で調査員を待っていたのはひとりの女性だった。件の管理者夫妻のひとり娘、美杜頼子。資料には四十二歳と記載されていたが、数字よりもいくぶん若々しい見目である。
 乗り場の駐車場に停めていた自家用車から降りた彼女は真っ黒い姿をしていた。要するに喪服だ。正崎の姿を認めて深く一礼し、ほろほろと崩れるように微笑んだ。来訪を感謝し、再会を喜ぶ言葉。美杜は正崎の手を取って懐かしげに「あなたはちっとも変わらないのね」と言った。
「本当にあなたが来てくださったと知ったら、父も母も喜びます」
「ここまでが契約ですから。あなたもお変わりない、頼子嬢」
「お上手だこと。……そちらの方は?」
 一歩下がってふたりを観察していた廉が何も考えないまま取り繕った愛想笑いに美杜がやや目元を険しくし、その反応に廉は違和を覚え、どちらもが正崎を見た。
「彼はプラティ社の調査員で、大矢廉といいます」
「プラティ社がどうして正崎さんと」
「公式発表がまだですので詳しくは……。わたしの仕事を手伝うために同行していますから、機密の面では問題ありませんよ」
「そう……よろしくお願いしますね、大矢さん」
「あ、はい。がんばります……?」
 調査は単独でじゅうぶん行えるものなのにいけしゃあしゃあと。
 調査対象が置かれている美杜邸は、この島でもっとも高い山の上にあるということだった。廉はこじんまりとした自家用車の後部座席に、正崎は助手席にと促される。彼女は両親の資産を継いだのだからハンドルを握る必要のない立場だったが、何かと自分の手を使いたがる人間は多いものである。
 離島は人口こそ小規模だが、美杜家のような富裕層が多く暮らすために寂れている空気ではない。この静けさ、時の流れの如何ともし難いまどろっこしさを愛して、都市部を離れた人々の終の棲家だ。
「十年前父がここに移ると言い出したときには、反対もいたしましたけれど。最後には私がいちばん気に入ってしまったんです」
 すれ違う車両もなく車が私有地に入った。この山ひとつ買って、頂上に理想の家を建てた彼女の父親は、たったの二年しかここに暮らせなかったということだ。
 勝手に預かっているアタッシュケースを膝の上に抱え、窓の外を眺めるふりをしながらざっと美杜の評価を定める。ゆるく内巻きにされたショートヘアは栗色に染められていて、喪服に釣り合う程度に化粧もしていた。それに香水が微かに感知されている。薄い黒の手袋はシルク、耳元には真珠。総じて控えめながら彼女は完璧に装っていた。そうしたことに気を遣う女性だからか? 客人があるから? 喪主として明日に限らず今日も参列者の応対をするであろう彼女に余裕を与えるのは使用人たちだろうか。
 父母よりも先に伴侶を喪った寡婦はずっと正崎に向かって昔話をしていた。正崎が思い出を補足するようなことを言うたび、親しみのあるふうで笑っている。
 私道の終着点に美杜邸が見えた。門はなく、車寄せに喪服の老女が待ち構えている。資料にあった美杜家の使用人のひとりだった。使用人は五人、みな人間の女である。老女は美杜と入れ替わりで運転席に入り、車を車庫へと移動させていった。
 敷地のほとんどが手付かずの山と、磨き上げられた庭に割かれている。美杜邸は平屋でどこをどうとっても豪邸と言うべき様相であったが異常に広いわけではなかった。親子三人と使用人の静かな生活には十二分だろう。美杜は玄関に入らず、庭先の離れを示した。
「幹典より先に、母に会ってやってくださらないかしら。正崎さんがいらしてくださるかどうか、ずっと気にしていたんです」
「ええ……」
 いやいや待ってほしい、ーー遺体に会うなんて! 正崎に向かってだけ聞こえるよう絞り出した声はひどく狼狽えていた。行きたくないということをいかにそれらしく言い訳するか、答えは割合に素早く出たが、正崎が美杜に声をかけるほうが早かった。
「頼子嬢、彼はこの場に。騒がしくしては奥方に叱られてしまう」
「ああ、そうね。大矢さん、庭でもご覧になっていてください」
 胸を撫で下ろした廉の様子を不審がるでもなく美杜は正崎を連れて離れへと向かった。離れと言っても、当然のように小屋のようなものではない。
 見ていろと言われた庭は確かに客の目を楽しませるつくりをしている。屋敷と同じく微妙に国籍を感じさせないが、庭師を雇っているのだろう寸分の隙もなく整えられ、ざっと見たところではコンピュータ管理もなされているようだった。
 この屋敷では一体だけを用いて他のロボットを排除したと見るべきなら、美杜幹典は大切に扱われていたのだろう。歩みを誘導する飛び石ひとつひとつに足を乗せながら、文字媒体でだけ得た情報にもう一度整理をかけた。
 正崎の調査対象の名は美杜幹典。労働義務期間が終了した後も自己管理権を得ず、この美杜家に所有されていたアンドロイド。廉に対してコドンの機密にあたるだろう情報も開かれているのに、少々呆れを覚える。
 それに、美杜家がまるで正崎個人の顧客のように彼に接するのは廉には不思議に思えた。プラティ社の調査員が派遣される以前に顧客について知ることはないし、調査部門の仕事はまさしく調査だ。所属が違った時に彼の言う仲介を行ったのか……。
 庭はそのまま森へと続いていた。野生生物がこの庭に迷い込んでもおかしくない。むしろ、彼らの領域にぽっかりと穴が空いたような場所だ。
 飛び石を逸れてまで歩きまわる気になれずに回れ右をした廉はぎょっとしてたたらを踏んだ。
「大矢さまとおっしゃられましたね」
「え、ええ……何か?」
 先ほどの老女がまさしく音もなく、石を四つ空けた先に立っていた。なぜ気が付かなかったのかと咄嗟に身体情報を読み取って合点がいった、彼女は完全な生身なのだ。
 彼女、江東もまた喪服で、矮躯ではあったが年齢の割に背筋がまっすぐ伸びている。とても健康な人間なのだなと落とされた沈黙の間に考える余裕が帰ってきていた。
「あの、江東さん? 俺に何か御用ですか」
「正崎さんとはご友人であらせられる?」
「いや彼とは別に、仕事で関わっているだけです」
「そうでしょうね」
 そうでしょうね?
 何がどうなってそう思われたのだか推測も面倒だった。帽子を直すふりで逸らした視線で離れを窺うが、正崎が戻ってくるまでまだ時間がかかるだろう。人間の遺体を前にしている相手に通信を試みる気持ちには流石にならない。
「正崎さんがご契約なさったのはお嬢さまとではなく、旦那さまと、でございます」
「はあ……」
「ですからお嬢さまの意に添わぬこともなさるのではないかと不安なのです」
「不安ですか。別に彼は、仕事以上のことはしないでしょう。その仕事だって美杜家の方が求めるからするわけで」
「個人的な約束もなさっているはずなのです」
 もしかするとこの人間はコドンとかプラティとか、訪れたアンドロイドたちの所属とか、よく分かっていないのではないか。人間の話をこちらから遮ったり切り上げようとするといらぬ反感を買うから廉は黙っていたが、話が見えない。
 江東が石をひとつ進んだ。見下ろした彼女の白髪交じりの髪に、身体に手を加えるのを嫌う人間は極端になる傾向があるのを思い出す。
「お願い申し上げます、お嬢さまのなさいたいように……」
「いやそれは」
 正崎に言わなくては意味がないのに。廉が諾と言わぬまでは動かないという顔をされてもーー「江東さん?」
 呟きに近い声だったが拾うことができ、廉は離れに顔を向けた。美杜がすこし怪しむような顔をしている背後に立った正崎と目が合う。どうかしたのか、と直接投げかけられると答えるべき事柄が曖昧である。
 ロボットが口頭で会話するように通信を行うことを人間はたいてい頭に浮かべない。通話、通信と聞けば連絡先を知っていなくてはならないと思うらしく、廉と正崎が言葉を交わしているのに美杜も江東も気が付いていなかった。
 美杜氏と個人的に約束をしたのか。質問に質問に返すとすぐに否定された。「契約に含まれないやり取りはしていない」と当たり前のことを言う。
「江東さん、何をしてるの」
 詰問の色が濃い声に廉はすぐそばの老女とその雇用主とを二度見比べた。
「お庭について教えていただいていたんですよ。俺のほうが引き止めてしまって」
「お待たせしてしまいましたのね」
「そういう訳じゃないですが……」
 とつぜん強張った美杜の態度に悪手を打ったかとも思ったが、彼女はそれ以上質問を重ねなかった。幹典の部屋に、と背を向けた彼女の後に続くと、正崎がちらと横目にこちらを見る。
 君も嘘をつくのか?
 なんだそれは、そんなことがおかしいのか。重大な虚言は口にできないよう組まれた人格にだって、その場凌ぎくらい使える。
「ああ、よく分かるよ」
 彼女にとっては脈絡なく発せられた言葉に、美杜が小さく首を傾げた。


 初老の風貌をしたアンドロイドがベッドに寝かされていると、ロボットの死体というよりもやはり人間の遺体のような印象が強い。アンドロイドの外見上の特徴の第一は瞳であるし、そのアンドロイドは役割のために非常に人間らしかった。
 それでもその白髪の男性の首筋、模造皮膚の下にはインターフェイスパネルがあり、耳の後ろあたりを探ればケーブルを挿すための穴が開いているのだ。正崎は美杜に伺いを立ててからその死体の枕元に膝をついた。首筋に触れた指は光を灯し、正崎が瞼を下ろす。
 正しく作動したシステムによって停止した、それも連動対象が死にゆくのを長期にわたって見守っていたロボットだ。データは整理されているだろう。残留情報の状態にはあまりに個体差が大きい。
 扉をくぐったところで立ち止まった廉の目には、幹典の部屋はまるで屋敷の主人のそれに映る。窓際のベッドは広く、机には紙の本がいくつか置かれ、家具は少ないが調度品はみな該当する商品情報を探し出せないオーダーメイドだった。
 ここが幹典の部屋である、というのはあるいは事実だろう。だがきっとこの広々とした部屋が真実このアンドロイドのものになったことはない。制度や法よりも当事者の感情に比重を置く思考に廉は調査員になって早々に屈していて、いまとなってはごく自然にそう考えるようになっていた。
「尊厳死については話には聞いていましたし、説明も何度かされていましたけれど、本当に母が亡くなるのと同時に彼が倒れるとは、思わなくて……みんなそうなんですか?」
「そうですね、死の認識と同時ですから」
 自分に話しかけられているらしい、と廉は美杜の隣に進んだ。普通よりも時間がかかっている正崎の作業は、話の片手間にしたくはない類のものだ。
「夫人は長くご闘病なされていたとか」
「ええ、三年前から。幹典はずっと母の看病をしていました。実は母が亡くなったのに気付いたのは、幹典が呼んでも応えてくれなかったからなんです」
「在宅で、緩和ケアを?」
「母の希望でした。私は延命治療をと言ったけれど、家を離れたがらなくて……正崎さん、もういいんですか?」
 正崎が頷き立ち上がると、入れ替わるように美杜が幹典のそばに立つ。
「情報は得られました。特に大きな問題もないので、予定通り明日回収班をここにーー」
「そのことなのですけれど、回収はどうあっても避けられませんか」
 首を傾げられて、美杜は苦し紛れのような素振りで額に手を当てる。何を言っているのかしら、ごめんなさいね、そういう言葉が続きそうに見えたが、彼女は撤回はしなかった。
「尊厳死制度利用機体の回収は、コドン社における大前提です」
「分かっています、でも、他にも同じことおっしゃる方、いますでしょう? 手放したくない、って……それとも皆さん物分かりよく回収にお応じになるの?」
「利用者に縁深い人物が応じたがらないことはありますが、規定違反は公団の介入を呼ぶことになる」
「介入……」
「公団は強制権を持っています。……いずれにしても回収は明日だ、後ほどまた話しましょう。お気持ちの整理をつけていただきたい」
 腕を掴まれて部屋から出される間際、肩越しに振り返った廉は目を瞠った。美杜が死体のそばに腰掛けて、その頬を撫でーー扉が閉まる。
 すぐに腕を解放した正崎は特に驚いた様子でもなかった。コドン社の機体回収の原則はプラティからすると厳しく思われ、こうした抗議あるいは要望の実在は意外ではない。珍しくない、のかもしれない。
「どうするんだ、嫌がり続けたら」
「回収班が公団に連絡するさ。彼女はそこまで頑迷ではないと願うが」
 公団、と口にする時の辟易した調子に廉はすこし笑ってしまった。ロボットの公的配給などを担い製造のトップシェアを誇るMW公団への厄介者扱いは、公団製のロボットの間でさえ浸透しているという話も聞く。
 やけに迷いなく廊下を進んでいく正崎が廉の手からアタッシュケースを取り上げ、少し開いて中身を確認した。ちらと見えたのは黒衣、本当に喪服が入っている。葬儀には黒衣でないといけないなら自分は参加しなければいいだろうと片付けていたが、ふと、なぜ彼は参列しなくてはいけないのだろうと疑問が浮かんだ。
「調査対象はどういう遺言を?」
 掲げられる前に手を掴んでも咎められることなく、正崎はおそらく彼が吸い出したそのままのデータを廉に寄越した。本当に統合するのだ、いまこのときでさえ廉は正崎とほぼ同じ権限を持たされているのだと、正崎がもっと規則に厳しい態度を見せていれば感動したものを。
 遺言はやはり相当整理されていた。断片的情報をかき集めたというよりも用意された箱を受け取ったという塩梅である。連動対象への慕情、思い出への愛惜、与えられた十年間への愛着、死に対する穏やかな、諦念。記憶結晶を抱くロボットはみな情緒的に落ち着いているものだがその典型のようだった。
「美杜さんの父親の記憶結晶を搭載していたんだろ、妻を看取って死んだ形になるな」
 離れた指は少し遅れてからふつりと光を落とした。事前資料と齟齬のある情報は何もなく、報告書も書きやすそうな案件だ。正崎が違法手段に出ることもない。だがなんとなく、彼の顔色は晴れなかった。
「記憶結晶を持つロボットがみな、その記憶に従って動くと思うか?」
「……そりゃ、そのために作るんだから……」
「作成時点の被験者の記憶と人格に、そのロボットが経験する十年が加算されても?」
「被験者と同じ考え方、感じ方、行動をとりますって、パンフレットにある」
 メッセージ。思い出せと言われている気がした。「私は後悔しています、思えば不安を伝えないという不誠実をかつての私は犯していたのです」
 傾き始めた太陽に色合いを変えている庭には使用人もおらず、廉はすこし安堵を覚える。離れとは反対方向に速い歩調で向かっていく正崎が私道にまで出て行くのに声をかけても、彼は立ち止まらなかった。
 尊厳死制度がロボットの死の権利のためにあるなら、記憶結晶は人間の存在の権利のためにある。
 プラティ社は記憶結晶の作成には携わっていなかった。コドン社やRR社など、複数企業がその技術を有している。開発者は記憶結晶技術に関するすべての権利を放棄していた。理由は謎だ、ジェイムズ・リトルの隠棲に似た出来事だった。
「正崎さん、どこに行くんだ」
「墓だよ」
 名の通り、記憶結晶は石だった。広義においては人間の複製だけを意味しない。水晶のような見た目で、現在存在する記録媒体のなかで最も膨大な情報を閉じ込め得る。そこに人間の人格と記憶を複製し、ロボットに搭載せることで、人間は死後にさえ存在することができる。
 美杜幹典は死を悟ってそれを望み、死ぬ日を決めて自分自身をあのアンドロイドに落とし込んだ。自身の名を名乗らせるのは当事者の望みによる。自身の資産、住居、立場、みなそっくりそのまま遺そうとする者もおり、美杜幹典はそのひとりだ。
 車で通ったのとは違う道は、森の中に伸びている。正崎の歩みに合わせていると砂利の音が喧しく響いた。ちりちりと鳥が囀っていると何の鳥かと検索をかけ、この森の成り立ちはと思えば情報を呼び起こす、ただ歩くだけだと頭のなかはかえって騒がしい。
 ぽつんと開けた場所に、確かに墓があった。霊園にあるようなものよりも大きく、しかし石造りではなかった。おそらく土の下には棺がある。放っておけば墓標も棺も、肉も骨も土に帰るだろう。
「美杜幹典の墓だ」
 墓碑を示した正崎が廉の頭から帽子を取り上げた。供えるものはなく、廉には死者に語ることも祈ることもなく、なら帽子くらい外せということか。
「十年経ってるにしては、綺麗じゃないか?」
「幹典氏が保全したんだろうな。これからは誰も手を付けず、緑に覆われていくさ」
「自分の墓だからなあ……」
 手を合わせるのも額づくのも十字を切るのも廉にはそぐわない。ただ彼は墓の前に突っ立っていて、正崎も何の祈りの仕草も見せなかった。
「個人的な約束、本当はしたんだろ」
「さあ……」
「大袈裟なものじゃなくてもいいから、心当たりがあるはずなんだ。あなたがメモリをこまめに整理して消しちゃう方なら仕方ないけど、そうじゃないっぽいし」
「そうだな。取捨選択はしたことがない。……約束か」
 指先にひっかけた帽子をくるりと回して、正崎はほんの数秒目を閉じた。それが開かれるとき瞼から灰色の瞳は少し明るく、何故か廉の帽子を被った彼の姿勢が少し、崩れる。濃赤のハンチング帽は廉よりも彼に似合っていた。
「娘をよろしく、と」
「約束といえば約束だ」
「安楽死の直前の言葉だ、遺言だろう」
 墓前にはまだ色褪せていない花がいくつか供えられていた。苔の生えた木の墓標には何の文字も刻まれず、自分の足の下にいる人間のことを知るための手がかりはひとつもない。
 江東は思い違いか杞憂に動かされていたと思っていい。娘をよろしく。それが遺言で、約束と言い換えられないこともないなら、老女が案じたような動きを正崎は取るまい。数秒の黙祷さえないままアンドロイドたちは墓前を去った。
「葬儀も回収も明日だ。客間を用意してくれているようだから好きに休むといい」
 屋敷の図面に従ってか、正崎が使用人の案内もなしに幹典の部屋とは真反対に位置する部屋の扉を開く。ホテルの一室のような客間にはベッドがふたつ、どちらも整えられていた。簡易端末を借りれば社と連絡を取って置き去りにしてきた仕事をすることもできそうだ。
 しかし、とため息をつくと、正崎が振り返った。帽子と上着をクロゼットに仕舞っていたから自分の上着も彼に放って、ついでとばかりに靴を脱いでベッドに身を投げ出す。少し硬いスプリングの感触。
「この仕事、俺がいる意味ないな」
「コドンの調査の様子を見て、内容を知るのが仕事だろ? ぶすくれるなよ」
 そりゃあ面白くない訳じゃないが。いまごろ同僚たちも似たような目に遭っているのだと思うのが、ほんの少し慰めになった。


 肩を揺する手が誰のものだか、分からなければ寝惚けた振りなどしたかもしれない。人間ならそういうこともあるのだろうと、目を開く前から働いている個別認識が名指す相手を見上げた。
「うわ、五時間も経ってる……」
「処理するものがそんなに多かったのか?」
「いつも通りのはずなんだけど、どうにも眠くて」
 眠いということはつまり、情報の処理に回す機能のために他の機能を抑えこむ働きの結果だ。溜め込んだものなんてないだろうに、確かに自動処理の行われた記録があった。
 手櫛で髪を整え、靴を履く。戸口に控えている江東を正しく検出しているところからして、廉は昼間彼女に話しかけられたのに自覚している以上に驚いたらしい。生体への反応の鈍化が矯正されていた。
「頼子嬢がわたしたちと話したいことがあるそうだ」
「あなたと、の間違いだろ。律儀な人だな」
 間接照明しかない廊下を通って案内された先は幹典の部屋で、江東が声をかけてから扉を開くと昼間にはなかったテーブルと椅子が置かれていた。そのひとつに腰掛けた美杜の前にだけ用意されたティーカップ。
 椅子は彼女のものをあわせて三つ。自分も座らなくてはいけないらしい。
「あなた方は飲食をなさらないと思っていたのですけれど、間違っていました?」
「わたしも彼も何も口にしません」
「寂しいわね」
「幹典氏は飲食が可能なタイプでしたね。比較すれば確かにそうかもしれない」
 人間の遺体にするように白い布をかけられた幹典は、ランプの光から遠ざけられて影を落とされていた。テーブルに対して斜めに置かれた椅子から、美杜は彼の方ばかり見ている。
 会話は正崎が答えるのに任せて、漂う紅茶の香りを試しに解析する。輸入品の茶葉で、去年のクリスマスに合わせて発売された期間限定品だ。一体五時間も眠っている間に生体検出以外のどの部分が是正されたものだか、はっきりと分からない居心地の悪さが拭えない。
「機体回収について、お気持ちの整理はつけられましたか」
 父母や幹典の思い出話を始めかけていた美杜は直裁的な問いにほんの弱い力で眉を顰めた。気持ちの整理などという聞き方をして、契約上既に得られている合意を確認してやっている調査員の気遣いは彼女にはおそらく通じない。
「質問をしてもよろしくって?」
「ええ」
「調査の際に集める情報を遺言と呼び習わしているそうですね。幹典の遺言はどんなもので、……いいえ、それは、私に何か関わるようなことだったのかしら」
「重要度の高いメモリのいくつかにあなたが含まれてはいました」
 開かれた窓から少しばかり強い夜風が吹き込み、カーテンを揺らしている。江東がほとんど音を立てずに窓を閉めた途端に空気の淀む錯覚があった。
「遺言って、思い出なのですか」
「個体差があります。特に整理をつけずに機能を停止したものの遺言は内容が捉えづらく、また読み取りの深度が上がり、調査が長引く。自壊の影響もありますが……幹典氏の場合、死までに準備期間がありましたね。それ故に機能停止後も残存するべき情報は選別され、読み取りやすかった。
 我々はそうした情報と契約内容、制度利用時の申請、実際に登録された連動対象、死の状況、時に周囲の証言を比較し、齟齬がないかを確かめるのです。……それがすべてが完全に一致していました。逆に稀な例であると申し上げてもいいほど」
「完全に……」
 かちりとティーカップとソーサーがぶつかる。ほとんど飲み干されていたが、そうでなければぶつかる拍子に紅茶が溢れていた。ティーカップを離さない彼女の手の強張り、バイタルサインの変動。
 老いた皺だらけの手が美杜のティーカップに紅茶を注ぎ、砂糖をひとつ落とした。
「本当に、何の違いも? おかしなところも、変わったところも?」
「ありません。廉、そうだろう」
「俺の目から見ても、全く……」
「そんなはずないのよ!」
 まただ、と思う。この女性の糸が切れんばかりに張り詰める一瞬には脈絡がない。
 同席していることが間違いのような気がして正崎に何度もそう伝えるのに、彼は離れに向かうときそうしたようには廉を遠ざけようとしない。返答がないのに話しかけるのを止めさせようともしない。
 その横顔に深い影が刻まれていた。この家には間接照明、それもオレンジがかった光しか存在しないのか、まるで夕日のようだ。美杜は何かの反応を期待していたのだろう、正崎が瞬きひとつしないので、毒気が抜かれたように両手を膝に落とし、擦りあわせた。
「あなたのお父上とお母上とがコドン社と契約を交わす際、あなたには何か不安要素があったのでしょうか」
「いいえ……」
「まだ機体回収に全面的に同意できる状態ではありませんね」
「何かがあるはずだと思って、あなたが来てくださるのを心待ちにしていたんです……」
「異常を見つけてほしかった?」
「そう、そうです」
「ありませんよ、異常は」
 特別冷たい言い方でないのに、もうやめてやれと言いたくなる。美杜は港に迎えに来たときのように何もかもを僅かにだけ歪めるように笑った。
「そう……彼、嘘つきだったんですね」
 俯いた彼女はまたベッドに顔を向ける。ゆっくりと静かに吐き出された息の震えに泣いているのかと思ったが、横顔に落ちた髪から覗いた目は乾いていた。
 手袋をしたままの手でシュガートングを摘み、美杜はグラニュー糖の白を詰められた砂糖瓶にひとつだけ混ざった三温糖の角砂糖を選び取った。それが熱い紅茶に融け、湯気に甘い香りが混じり、検出される数値に変動があった。
「待て、飲むな!」
 ーーいまのは純粋な砂糖じゃない。
 床に叩きつけられたカップが砕け、カップを払い除けた手に高熱を感知する。畜生、痛いじゃないか。感度調節の遅れた手はすぐに熱を感じなくなったが、衝撃が居残っていた。
 しんとなった部屋で、しかし誰も、廉の行動に対し困惑する者はなかった。紅茶が美杜にはかかっていないのを確認しても廉は彼女から目を離せない。ぼんやりと飛び散った毒を見遣る女が次に何をしでかすか分からなかった。
「美杜さん、あなたどうして」
「どうして分かったの」
「見れば分かるんですよ、あなたとは目が違うんだ。……手袋を外してください」
 廉の言葉に抗わない美杜の青褪めた手が露わになり、取り上げられた手袋が何も喪服に合わせてだけ着けられていたのではないと語っていた。
 手首部分に縫い付けられた針に舌を打った廉に、正崎は立ち上がりもせずに手を伸ばした。針の先は樹脂か何かでコーティングされているが、その部分にもまた毒が仕込んであるのだろう。正崎がそれを矯めつ眇めつして見て、古いな、と呟く。
「正崎さん、気付いてただろ」
「死にたいなら死なせてやればいい」
 手袋をテーブルに置いたアンドロイドは冗談を言っている様子でなかった。ぽかんとして自分を凝視する美杜を軽蔑しているのでもなく、ティーカップの破片を拾う江東を一瞥する。
「君はどうして止めてやったんだ」
「訊くのか、それ」
「人間の死体を見るのが嫌いだからか?」
「ーー人間の自殺なんか見過ごしたら強制開示を命令されるからだ」
 努力義務などと規定されているが、ロボットが人間の生命を守ることは絶対の掟に近い。大昔の三原則適用ロボットのようには意識に組み込まれていない行動ではあるが、行えないなら、問題があると見做される。
 公団は当該ロボットの引き渡しと調査を命令する、するとロボットは比喩でなく身も心もばらばらにされて、まるで何事もなかったかのように組み直されて戻ってくる。不気味なほどの善良さを携えて……。
 想像するだけで嫌だ。廉が顔を顰めるのに正崎は目を細めた。笑ったのか、こいつ。
「あなたたちって、みんなそうなのね」
 どっかりと椅子に座り直した廉と微動だにしていない正崎を見比べ、美杜が両手で顔を覆った。
「八年よ、私にとっては長すぎる八年だった」
 裏返ったいびつな声とともに背を丸めた美杜の背を江東が撫で下ろす。その手に縋った女がとうとう泣き始めると、正崎がほんの小さなため息をついたのが聞こえた。おそらく廉にしか聞こえなかっただろうが。
「父が記憶結晶を遺すと決めたのは、母のためであって、自分のためだったわ。母が自分のいない人生を過ごさずに済むように、過ごさないように、って……幹典が母に献身的だったのは当然なのよ、だって、彼は父と同じように母を思っていたんだもの」
「あなたは一度も彼を父と呼んでやらなかったんでしょう」
「だって、違ったから。どうしてかしらね、あのアンドロイドは記憶結晶を背負うために父が死ぬのと同時に何もかも消去されたはずなのに、父と同じことを言うのに、違っていた。ーーだから好きになったの」
「あの顔なのに……?」
 完璧に再現された父親の顔や声を前にして、恋情を抱いたとは。そもそも八年前といえば、美杜は夫を亡くして日が浅く、彼女の母親は患っていなかったのだ。死んだ父親の居場所を隙間なく埋め、母と睦まじく過ごす老いぬアンドロイド、どこにも彼女が得たいと願うだろう望みはない。
 くっと喉を鳴らして肩を震わせた美杜が、馬鹿にしたような声で呻いた。それの何がいけないの?
「私だって馬鹿じゃないわ、自分の目が曇っているかもしれないって思うくらいできる。でも、それでも、幹典は私を見ていたのよ、私が見るのと同じように、母じゃなくて私を! だから、もしかしたらと思った、何かあってくれるって!」
「頼子嬢、あまりに残酷だ、それは」
「どういう意味……」
「彼はあなたに父と呼んでもらいたかっただろうに」
 僅かな逡巡を挟んで、死ぬべきじゃないと彼は続けた。死ねばいいと言った口で。
 席を立った正崎に名を呼ばれて廉も椅子を離れる。啜り泣きが床に落ちる影に残り香をつけるようで、急に緊張と縁のない柔らかな情動が湧いた。可哀想だと思ったのだ。扉を閉め廊下に出た廉の耳に、期待することに倦み疲れた嘆きが届く。
「どうしてあなたたちには、考えなおすことができないんでしょう……」


 島外からも集まった参列者と挨拶を交わす美杜は、港で初めて見た姿となんら変わるところがない。聞けば昨日に到着していた参列者もいたのだが、麓のホテルに滞在するよう手配していたという。
 離れの軒先で廉と正崎は完全な部外者のような顔をしていた。アタッシュケースに入っていた喪服に身を包んだ正崎と、結局着替えなぞ持っていなかったし葬儀に出るつもりもなく平素の格好の廉とは、並んでいてちぐはぐである。
「宗派とか、ないのかな。この葬式」
「無宗教だそうだよ。葬儀というよりも告別式だな」
 しかし数十人の人間と、時折混ざるロボットは、身に着けるものがあれば黒尽くしだ。黒を着るのは宗教ではなくて慣習だったのか、などと関心がない領域の知識不足を露呈するより先に廉は感想を言うのをやめた。
 夫人の棺はじきに離れから運びだされ、森の一角に埋められる。夫と並べるのかと思ったがそうでなく、生前に決めた場所にそれぞれ埋葬するのだ。もし美杜家が大家族だったらこの森のそこらじゅうに死体を埋めるのだろうか。
 先程江東が参列者に配り歩いていた白い花を持て余す廉と違って、正崎はそれをそっと手にしていた。並び立つ彼の顔を見るのに視点を下ろす格好になる。正崎は廉よりも少し背が低かった。
「教えてやらないのか」
「教えてやってくれとメッセージにあれば別だが」
 薄く微笑んでいるその顔がどういう感情を表すものだか、廉には読めなかった。機嫌がいいなら多少不謹慎だと窘めてもいいくらいだけれど。
「言わぬが花ってこと?」
「少し違うかな」
「ふうん? それにしても幹典氏、よく異常を来さず夫人の死まで持ち堪えられたな。記憶結晶搭載機体って、自我がないようなものだと思ってた」
「それが正しいんだがね、たまにはこういうこともあるさ」
「あなたの解釈はどういう風になるんだ、報告書に記載しないでおくにしても」
 この案件については何の問題もない、すっきりとした報告書が作成される。廉も併せて提出を求められるだろう報告書には、機体回収を必須とすると面倒な説得が付随するとでも書くつもりでいた。
 美杜が離れに入り、参列者が出入り口あたりに集まってきた。少し離れた場所に動いた廉の頭上をコドンのエンブレムを掲げた航空機が旋回する。正崎の指示を待っているのか、発着場との連絡を行っているのか。今朝、美杜は幹典の機体を引き渡すことにあっさりと合意した。
「正崎さん?」
「彼が幹典としての役割を全うするなかで、わたしに吐露することが必要だった。そう解釈している」
「それってやっぱり、愛しているから?」
 四日前には突拍子もない結論として響いた言葉がどうしても相応しく思え、口にしてはみたが、気恥ずかしさに襲われた。
 正崎はそうだともそうでないとも決めつけないまま、森へ向かって動き始めた人の列に連なる。見送ろうかと思った廉も肩を押されて最後尾についた。代わる代わる棺を背負う人々の誰も泣いておらず、和やかな談笑さえ交わされていた。夫人は広い交友関係を持った、世話好きな女性だったとか、資料にあった。
 新しく掘り返された墓穴へと棺が収められ、美杜が手にしていた花束を棺の母に持たせる。匂いの強い花を全員が持っているので死臭から気を逸らせることができた。ああこの花はそれぞれが棺に……気が付いて、正崎の手に少し萎れた花を押し付ける。
「君はプラティ社に大切にされてきたんだな」
「え、何……突然……」
「死体が怖くて調査員が務まってきたのだから、そうじゃないか」
 別にロボットの死体を嫌がったことなんかない。反論する前に正崎が棺に近づいて行ったので、廉は声なく彼に強く主張した。それに怖いとは言っていない!
 晴れ晴れとした空や息づく緑のなかにあって、黒装束はなぜだか相応しく見える。それは土に膝をつけて死者に花を贈る人間たちに混じった正崎が場違いでないのと同じように、かもしれなかった。どうして今日は雨が降っていないのだろうーー雨粒の打ち付ける音がどこからか聞こえるのに。
 とうとう島を離れるその時になっても祈るとき何を考えればよいものか分からなかった廉には、死者に真摯に目を落とす正崎が一線の向こうにいるように思われた。

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